久々の投稿です。
このごろTVというものを殆ど見ないのですが,たまに見て感じるのが「日本のここが素晴らしい」というような番組が盛んにある事です。以前はそんなでもなかったですし,面はゆい様な,悪い気持ちはしない訳ですが,そんなに繰り返されるのも,ヘンだと思うのです。「富士山」や「和食」,「富岡製糸場」が世界遺産に登録されたことなどとも関連するのかも知れませんが。
日本人が自信を失っている事の裏返しではないか?と思うのです。自らの努力で得たものを振り返るのは良いですが,必ずしもそうでないものに価値を見いだすと,これはいけません。 現在の日本の良さを見て自信を持つ事も結構ですが,それは過去の人々の努力で成されたことを忘れてはいけません。良いところは再確認しつつも,それを将来世代に伝えていかないといけません。日本の良さ(も悪さも),外に出てみて初めて分るものだと思います。内に籠っていて「日本は良いんだ」と叫んでも独りよがりになる虞れがあります。
日本の良さの一例をあげます。 日本人の手先の器用さとそれから発展した技術。きっとその元は,お箸を使うとことから来ているでしょうし,一流の腕を持つ専門の職人を尊敬する文化から来ているのでしょう。諸外国では必ずしもそうでないのでしょう。しかし長所は短所にもなるものです。器用さは,生産面では自動化省力化への改善を阻んだ面もありました。
礼儀正しさや思いやりの心。これも長所でしょう。 相手を立てる謙虚さは,長年相手が敵か味方かといった猜疑心を持たずに済んだからでしょう。人を見ると誰彼無く謝ります。欧米文化では,謝るというのは責任を認めた事になりますから,絶対にしません。日本人は「何にでもペコペコ謝る」,「Noと言えない」などと良く言われました。 日本のキレイさ,犯罪率の低さ。当然長所です。 これまでの教育の高さ,国民総中流,就職率の高さ,などからくるのでしょう。 しかし,余りにも清潔を求めすぎて免疫力が下がる?とか,犯罪に対する抵抗力が無いとか,敢て言えば短所になります。
グローバルな時代ですから,日本の良さもそうでない点も客観的に眺め,より良く次代に伝えて行く事が重要だろうと思いますが,良い点が本当により良く伝わって行くのか一抹の危惧も覚えます。
技術の高さや洗練さに関していえば,一時期,日本の技術が世界標準について行っていないという,いわゆる「ガラパゴス化」が盛んに喧伝されました。確かに,ケータイの端末器の分野では,日本製のものは,学生若者向けに機能強化しているのかと思えるくらい,国内向けの繊細な機能満載で,これで国際競争で生き残っていけるかどうか,ガラパゴス島に生息する珍奇な動植物になぞらえたのはウマいものです。言うまでもなく,その代表的自虐ネーミングが「ガラケー」であり,「スマホ」以外のものを指しています。日本製家電は,そこまで要るかと言った様な至れり尽くせりの便利さですが,お値段の方もすこぶる高いものです。
このような,技術のガラパゴス化を嘆く,文系(あるいは技術をあまりご存じない方)のジャーナリストの論調に違和感を覚えた記憶があります。「技術者に任せておくと,ろくな事は無い」と。では,誰が技術をやるのでしょうか? コンピュータがそうですが,言わば寄せ集めの総合技術です。いつ頃からか,デスクトップパソコンに至っては,如何に効率よく部品を箱に詰めるかという仕事になりました。失礼ながら,弁当屋さんと同じ状態です。かつてアップルを創業したジョブスが,経営手腕に期待してペプシコにいたスカリーを「砂糖水を作るのが面白いかい?」といって引き抜いたのです(その後彼によって逆に追い出されてしまいました)が,現在の環境ではあまりピンとこない言葉かもしれません。
自前技術へのこだわりとか,技術者を重視するという観点が欠落してしまい,技術を分らない人が分る人をコントロールし出したのです。MOTだとかガヴァナンスだとか,横文字を言い出すといけません。この手の言葉を「ジンクピリチオン語」と作家の清水義範氏がネーミングし,分子生物学者の近藤滋氏はこの語を掲げた学会のイベントをしています。言うまでもなく,あるベストセラーのシャンプーにこの物質が添加されていたわけですが,これに限らず,思考を麻痺させてしまう魔法の言葉です。この手の言葉が研究予算獲得の作文にも非常に強力な武器になるとも述べています。
キーワードが先にありきで,それに合わせて,行動規範をとらないといけないことはあちこちにある様です。これは「ホシガリマセンカツマデハ」の戦時中の標語と同じです。新しい標語が発令されると,それに対応しなくてはなりませんが,訳が分らないのでは,仕事に生かしようも無いですし,批判のしようすらありませんから,そういった研修会に出ます。するとたいてい,グループ討議をさせます。まとめ役が,最初に「今なぜ〇〇〇なのか?」といった問いかけをします。「おいおい,それを知りにこの研修に来たのだけど?」という気持ちを押し殺して,研修を受けます。それを参加者に考えさせるための研修なのでしょう。どうもキーワード自体に定義が無い様です。この手の言葉は,発令された後はお前たちが考えて何とかヤレということのようです。しかし,このような具体的成果につながらない不毛な行動を繰り返しても,目標を定めた理性的な行動にかなう訳がありません。
かつて世界を席巻した製造業を中心とした日本の企業の特徴は,人を大事にすることでした。ありていに言えば,正社員を採りクビにしない事です。勤める人間が,定年までの身分が保障されていれば,文句言いながらでも,その会社に少なからず忠誠心を持つでしょう。雇用者対労働者というような西洋的価値観でなく,自分たちみんなの会社だという意識が日本企業の強みだったと思います。危機に瀕しても,「自分たちの会社なんだから何とか頑張って立て直そう」という意識が働いたと思います。更に言えば,誰でも会社内で頑張れば,重役にでも社長にでもなれるというのは,企業人が仕事をする上で大きなモチベーションになったものと思います。社長と平社員の給料が数倍の違いで,同じ社員食堂やトイレを使うのです。
さて,現在はどうでしょうか? CEOだかCEEだかには何億円もの報酬が支払われる一方,末端の派遣社員は時給1000円以下で何の身分保障も無く使われています。技術者倫理はさかんに言われましたが,経営者倫理はトンと聞きません。高い倫理観を,安い賃金で得ようなどという,ムシの良い話がまかり通ります。当然の事ですが,地位や報酬の高い者程高い倫理観が求められるはずです。
もう話題にすら登らなくなりましたが,情報漏れの保障に200億円も払える企業が,なぜ正社員のSEを雇えないのでしょうか? 企業が人件費を削って社内留保を溜め込んでも,世の中に収入が低くてクルマが買えない結婚が出来ない若者があふれ,所帯持ちでも1人の収入ではやって行けないから共稼ぎで子育てどころではない。日々忙しく,そんな世の中に意見を言おうにも言えない。お坊ちゃんお嬢ちゃんの二世政治家に,そんな辛さが分かるのでしょうか?分かるはずありません。人間経験した事しか実感を伴って理解出来ないのです。経営者しかり。いつの間にか労働者の味方の労組も沈黙し,結果組合離れが進みます。
ハローワークには結構な数の求人が存在します。 しかし,中には外国語能力やコンピュータ操作などの高いスキルを要求しながら,時給が1000円とか,というものも存在します。民間企業のみならず,公的機関からでもその手の求人が存在します。この様な空手形,画餅的な求人で,求人倍率の数字を押し上げているのだとしたら,これはサギです。学生のアルバイトならいざ知らず,これで働いてどうやって生活して行くのでしょうか。生活すらままならないのに,家庭を持てる訳もありません。子供を大学教育まで受けさせるには,とんでもない費用が掛かります。高等教育を受けた人が,時給1000円とかで使われるというのは社会悪です。いい加減な人使いでもやって行けるという,倫理観の低い経営者を甘やかすだけです。
このような,技術や技術者,そして広く労働者の軽視は,公共の利益にはなりません。 若者たちの中には,このような現状に不公平感を抱いている者も少なくないはずです。そうすると,持っている老人から,多少戴いても良いのではないかという不心得者が出て来るのもムリはありません。巧妙な「振り込めサギ」なる事例が後を絶ちません。あれ程の,才能才覚が真っ当な実業に活かせたらどれほど良いでしょうか。 残念ながら,日本は工業技術分野において確実に産業的な競争力を減じています。その裏返しが,日本の素晴らしさの礼賛でなければよいと思うのです。若い人たちにしたら,「そういう世の中」と受け入れているかも知れませんがで,景気対策と称して繰り返された国の巨額な借金や年金の世代間の不公平さといった負の遺産をどうやって若者たちにバトンタッチして行くのか,あるいは国の借金など返さないのだと腹をくくるのか,責任ある決定が必要です。日本人の長所にも短所にもなる特性に集団主義がありますが,「赤信号皆で渡ればコワくない」という発想は最もいけないものの一つだと思います。
日本人が自信を失っている事の裏返しではないか?と思うのです。自らの努力で得たものを振り返るのは良いですが,必ずしもそうでないものに価値を見いだすと,これはいけません。 現在の日本の良さを見て自信を持つ事も結構ですが,それは過去の人々の努力で成されたことを忘れてはいけません。良いところは再確認しつつも,それを将来世代に伝えていかないといけません。日本の良さ(も悪さも),外に出てみて初めて分るものだと思います。内に籠っていて「日本は良いんだ」と叫んでも独りよがりになる虞れがあります。
日本の良さの一例をあげます。 日本人の手先の器用さとそれから発展した技術。きっとその元は,お箸を使うとことから来ているでしょうし,一流の腕を持つ専門の職人を尊敬する文化から来ているのでしょう。諸外国では必ずしもそうでないのでしょう。しかし長所は短所にもなるものです。器用さは,生産面では自動化省力化への改善を阻んだ面もありました。
礼儀正しさや思いやりの心。これも長所でしょう。 相手を立てる謙虚さは,長年相手が敵か味方かといった猜疑心を持たずに済んだからでしょう。人を見ると誰彼無く謝ります。欧米文化では,謝るというのは責任を認めた事になりますから,絶対にしません。日本人は「何にでもペコペコ謝る」,「Noと言えない」などと良く言われました。 日本のキレイさ,犯罪率の低さ。当然長所です。 これまでの教育の高さ,国民総中流,就職率の高さ,などからくるのでしょう。 しかし,余りにも清潔を求めすぎて免疫力が下がる?とか,犯罪に対する抵抗力が無いとか,敢て言えば短所になります。
グローバルな時代ですから,日本の良さもそうでない点も客観的に眺め,より良く次代に伝えて行く事が重要だろうと思いますが,良い点が本当により良く伝わって行くのか一抹の危惧も覚えます。
技術の高さや洗練さに関していえば,一時期,日本の技術が世界標準について行っていないという,いわゆる「ガラパゴス化」が盛んに喧伝されました。確かに,ケータイの端末器の分野では,日本製のものは,学生若者向けに機能強化しているのかと思えるくらい,国内向けの繊細な機能満載で,これで国際競争で生き残っていけるかどうか,ガラパゴス島に生息する珍奇な動植物になぞらえたのはウマいものです。言うまでもなく,その代表的自虐ネーミングが「ガラケー」であり,「スマホ」以外のものを指しています。日本製家電は,そこまで要るかと言った様な至れり尽くせりの便利さですが,お値段の方もすこぶる高いものです。
このような,技術のガラパゴス化を嘆く,文系(あるいは技術をあまりご存じない方)のジャーナリストの論調に違和感を覚えた記憶があります。「技術者に任せておくと,ろくな事は無い」と。では,誰が技術をやるのでしょうか? コンピュータがそうですが,言わば寄せ集めの総合技術です。いつ頃からか,デスクトップパソコンに至っては,如何に効率よく部品を箱に詰めるかという仕事になりました。失礼ながら,弁当屋さんと同じ状態です。かつてアップルを創業したジョブスが,経営手腕に期待してペプシコにいたスカリーを「砂糖水を作るのが面白いかい?」といって引き抜いたのです(その後彼によって逆に追い出されてしまいました)が,現在の環境ではあまりピンとこない言葉かもしれません。
自前技術へのこだわりとか,技術者を重視するという観点が欠落してしまい,技術を分らない人が分る人をコントロールし出したのです。MOTだとかガヴァナンスだとか,横文字を言い出すといけません。この手の言葉を「ジンクピリチオン語」と作家の清水義範氏がネーミングし,分子生物学者の近藤滋氏はこの語を掲げた学会のイベントをしています。言うまでもなく,あるベストセラーのシャンプーにこの物質が添加されていたわけですが,これに限らず,思考を麻痺させてしまう魔法の言葉です。この手の言葉が研究予算獲得の作文にも非常に強力な武器になるとも述べています。
キーワードが先にありきで,それに合わせて,行動規範をとらないといけないことはあちこちにある様です。これは「ホシガリマセンカツマデハ」の戦時中の標語と同じです。新しい標語が発令されると,それに対応しなくてはなりませんが,訳が分らないのでは,仕事に生かしようも無いですし,批判のしようすらありませんから,そういった研修会に出ます。するとたいてい,グループ討議をさせます。まとめ役が,最初に「今なぜ〇〇〇なのか?」といった問いかけをします。「おいおい,それを知りにこの研修に来たのだけど?」という気持ちを押し殺して,研修を受けます。それを参加者に考えさせるための研修なのでしょう。どうもキーワード自体に定義が無い様です。この手の言葉は,発令された後はお前たちが考えて何とかヤレということのようです。しかし,このような具体的成果につながらない不毛な行動を繰り返しても,目標を定めた理性的な行動にかなう訳がありません。
かつて世界を席巻した製造業を中心とした日本の企業の特徴は,人を大事にすることでした。ありていに言えば,正社員を採りクビにしない事です。勤める人間が,定年までの身分が保障されていれば,文句言いながらでも,その会社に少なからず忠誠心を持つでしょう。雇用者対労働者というような西洋的価値観でなく,自分たちみんなの会社だという意識が日本企業の強みだったと思います。危機に瀕しても,「自分たちの会社なんだから何とか頑張って立て直そう」という意識が働いたと思います。更に言えば,誰でも会社内で頑張れば,重役にでも社長にでもなれるというのは,企業人が仕事をする上で大きなモチベーションになったものと思います。社長と平社員の給料が数倍の違いで,同じ社員食堂やトイレを使うのです。
さて,現在はどうでしょうか? CEOだかCEEだかには何億円もの報酬が支払われる一方,末端の派遣社員は時給1000円以下で何の身分保障も無く使われています。技術者倫理はさかんに言われましたが,経営者倫理はトンと聞きません。高い倫理観を,安い賃金で得ようなどという,ムシの良い話がまかり通ります。当然の事ですが,地位や報酬の高い者程高い倫理観が求められるはずです。
もう話題にすら登らなくなりましたが,情報漏れの保障に200億円も払える企業が,なぜ正社員のSEを雇えないのでしょうか? 企業が人件費を削って社内留保を溜め込んでも,世の中に収入が低くてクルマが買えない結婚が出来ない若者があふれ,所帯持ちでも1人の収入ではやって行けないから共稼ぎで子育てどころではない。日々忙しく,そんな世の中に意見を言おうにも言えない。お坊ちゃんお嬢ちゃんの二世政治家に,そんな辛さが分かるのでしょうか?分かるはずありません。人間経験した事しか実感を伴って理解出来ないのです。経営者しかり。いつの間にか労働者の味方の労組も沈黙し,結果組合離れが進みます。
ハローワークには結構な数の求人が存在します。 しかし,中には外国語能力やコンピュータ操作などの高いスキルを要求しながら,時給が1000円とか,というものも存在します。民間企業のみならず,公的機関からでもその手の求人が存在します。この様な空手形,画餅的な求人で,求人倍率の数字を押し上げているのだとしたら,これはサギです。学生のアルバイトならいざ知らず,これで働いてどうやって生活して行くのでしょうか。生活すらままならないのに,家庭を持てる訳もありません。子供を大学教育まで受けさせるには,とんでもない費用が掛かります。高等教育を受けた人が,時給1000円とかで使われるというのは社会悪です。いい加減な人使いでもやって行けるという,倫理観の低い経営者を甘やかすだけです。
このような,技術や技術者,そして広く労働者の軽視は,公共の利益にはなりません。 若者たちの中には,このような現状に不公平感を抱いている者も少なくないはずです。そうすると,持っている老人から,多少戴いても良いのではないかという不心得者が出て来るのもムリはありません。巧妙な「振り込めサギ」なる事例が後を絶ちません。あれ程の,才能才覚が真っ当な実業に活かせたらどれほど良いでしょうか。 残念ながら,日本は工業技術分野において確実に産業的な競争力を減じています。その裏返しが,日本の素晴らしさの礼賛でなければよいと思うのです。若い人たちにしたら,「そういう世の中」と受け入れているかも知れませんがで,景気対策と称して繰り返された国の巨額な借金や年金の世代間の不公平さといった負の遺産をどうやって若者たちにバトンタッチして行くのか,あるいは国の借金など返さないのだと腹をくくるのか,責任ある決定が必要です。日本人の長所にも短所にもなる特性に集団主義がありますが,「赤信号皆で渡ればコワくない」という発想は最もいけないものの一つだと思います。
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